旅行・地域

2011年3月27日 (日)

台湾へ行って参りました。

先日、この環境ではありますが、台湾旅行に行って参りました。

特にこの時期を狙って疎開した訳ではありません。春の旅行ということで相当前から予約していたツアーです。自粛するのももったいない。

ずっと閉じこもっているのも精神衛生上よくありませんし、せっかくの春休みだというのに家に引きこもっている家族のことを考えれば、敢えて旅行で少しは気分転換する必要もあるかなと。

しかし羽田発の中華航空は遅れに遅れ、朝6:00のフライトが出発したのは11:00!

台湾に到着したら入国検査でいきなり放射能検査!金属探知機と同じようなゲートをくぐらされました。当然問題はありませんでしたけど。

色々観光はしたのですが、それはそれとして今回の収穫はこいつ。

2011_03220093 「戦棋」NO.5を買ってきました。

「金石堂書店」。380元也。

買ったのは街の普通の本屋。小籠包で有名な「鼎泰豊」(ディン・タイ・フォン)の隣にあります。

マップの紙質もいいしカウンターもきれい。カラーページも多くてすごく立派。

当然漢字だらけですので内容はおぼろげにしか判りませんが、台湾危機の歴史解説とフルカラーのプレイレポートがすごくそそります。誰か全文翻訳してくれないかな・・・。

ルールブックの抄訳がアップされたらやってみたいと思います。

2010年4月 4日 (日)

沖縄シュガーローフ

先月の連休に沖縄に行ってきました。
3月の沖縄は気温が24度で、夜は少し涼しいものの昼間は気持ちのいい初夏の陽気。真夏の観光よりも快適なのではないでしょうか。

20100322104716

ところで皆さんはシュガーローフという地名をご存知でしょうか?

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4769813457/nifty0b5-nif1-22/ref=nosim
ゲーマーならばご存知の方も多いと思いますが、沖縄戦の激戦地の一つで、すり鉢状の形をしている小高い丘です。菓子パンのように見える事から米軍からシュガーローフと呼ばれました。日本軍では単に52高地と呼んでいました。
那覇市街地のすぐ近くにあり、現在辺りはかなり開発が進み地形が変わっていますが、丘そのものは水道タンクのある小山として残っています。

20100322103301

3W/CMJの「OKINAWA」のマップで言うと、ヘクス1834にあたる地域です。
このゲームをやった事のある方ならもちろん、ゲーマーでしたら地形を見るだけでも重要な地域であることがお分かりと思います。

Okinawa_2 

この一帯は首里の司令部を中心とする日本軍の最終防衛戦の左翼中央にあたる要衝で、ここが突破されれば那覇市内への米軍の突入を許し、首里司令部の後方に回り込まれてしまうという非常に重要な地域でした。そのため日本陸軍独立混成第44旅団配下の独立混成第15連隊は、突入してくる米軍海兵隊に多大な損害を与えるべく、周到に陣地化されたこの地域一帯で待ち構えていたのでした。

米軍第6海兵隊の進撃は5月12日に開始されますが、容易な事ではシュガーローフを突破できず、多大な損害を被る事になります。
シュガーローフ一帯を巡る一週間の戦闘で、米軍は2600人を上回る戦死傷者と、1200人以上の戦闘疲労患者を出したという悲惨な戦闘になりました。日本側も相当な数の損害があった事と思われますが、この地域の戦闘に限った死傷者の数については記録されておらず、未だに正確に把握できていません。

小さな丘を巡って凄惨な戦闘が幾度も繰り返され、ついに5月18日、シュガーローフは陥落しますがこの一週間の戦闘でシュガーローフは計11回もの争奪戦が繰り返されるという稀に見る激戦地となったのです。

遂には右翼の防衛拠点である運玉森も突破され、この地域が保持できなくなった5月27日、牛島中将は首里からの撤退を宣言。最期の地となる摩文仁に向け南へ撤退してゆく事になりました。ここから「ひめゆりの塔」にでてくる悲惨な撤退が始まるのです。

このシュガーローフですが今はすっかり変わり果て、大きな水道タンクの乗ったコンクリで固められた丘にしか見えません。辺りの景色もすっかり変わり、周辺の丘は切り崩されて当時の地形はどんどんと姿を消しつつあります。

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これはシュガーローフから首里方面を望んだ景色ですが、手前の小山が米軍にハーフムーンと呼ばれたもう一つの陣地です。既に半分が切り崩されており当時の形は分からなくなっています。

シュガーローフの山に上ると小さな説明版と見晴らし台があって当時の激戦の様子が書かれています。目の前には、おもろ町の巨大なショッピングモールが広がり、激戦地であった事などとても考えられません。

さて、せっかく沖縄旅行に行っても家族からそんな戦跡なんか見たくない、と反対されてしまうのがオチですが、シュガーローフはそんな心配はありません。
何といっても目の前が巨大な免税店ですから、かみさんと子供が買い物に熱中しているスキに一人でさっと見に行く事をお勧め致します。

追記:

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ご存知の方も多いと思いますが、この「沖縄決戦」という本は沖縄作戦を指揮した八原高級参謀が戦後書き下ろした手記で、司令部から見た沖縄戦の詳細が記録されています。既に絶版でなかなか手に入らずヤフオクでようやく見つけました。
本書は沖縄戦の様子を後世に伝える貴重な資料であり、是非とも復刊して欲しいと思います。「復刊ドットコム」で受け付けていますので、ご興味のある方は覗いて見てください。

また沖縄戦史について非常に優れた研究をされている「沖縄戦史」というサイトがありますので、併せてご紹介したいと思います。シュガーローフについても当時の写真を現在地と比較して研究されています。是非とも一度ご覧ください。

2009年11月 8日 (日)

安土城跡

文化の日は東京に帰らずに名古屋で一人過ごす事になったので安土城跡に行ってきた。

昔から安土城研究を自称「ライフワーク」とか言ってる癖に現地に行くのは実は今回が初めて。今まで何度か計画したのに何故かその都度中止になったりして、縁がないものなんだなと諦めてたのだが、ようやく行く事ができました。
名古屋から鈍行電車に揺られて二時間近く。正午少し前ぐらいにひなびたいい感じの安土駅に着いた。てくてく歩いて博物館に行くと結構賑わっていて驚いた。
歴女っていうか、若い女性のグループとか来ていて資料館で図録を買っているのを見てびっくり。映画の影響も相当あるんだろうけど。
 
城趾は最近大掛かりな発掘調査が終わってすっかり整備されている。大手門跡なんて凄く大きくて驚いた。この発見はすごいな。門から大手道の石段が真っ直ぐ登っていく様は、まるで巨大な神社を思わせる。
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ここから天主台まで400段以上の石段を登って行かなくてはならない。
姫路や名古屋なんかの関ヶ原以降の近世城郭を見慣れた目には城郭に真っ直ぐな通路があるだけで凄く奇妙に感じるが、山頂の主郭部分への入り口は堅固な虎口に守られているので、要するに主郭部分を山城、詰めの城として山麓に屋敷を配した中世城郭に近い形態なのではないだろうか?
確かに本丸跡に御所のような建物を設けた形跡があり、政治的な意味では画期的ではあるが、城郭の構成としては近世城郭への過渡期だとよく判る。

ようやく登りきって天主台に到着。

きれいに礎石が残っています。ここに建っていた天主を想像するのは楽しい。

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当然、石段しか残っていないので普通の人にはつまらないかも知れないが、歴史好きは一度は行ってみるのもいいかも知れません。

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